加藤悦生 Stories 1957〜

自分史インデックス

好きな言葉

万事塞翁馬

何事も根気よく取り組んでいけば、
良いときも悪いときも、
悦びながら生きていくことができる。

加藤悦生

プロフィール

1957年3月11日
加藤孟男・静枝の4男として名古屋市中村区に生まれる
酉年 魚座 A型
米野小学校・黄金中学校・稲沢東高校・龍谷大学を経て成人就業
得意な科目:体育、図工、国語
趣味:スポーツ(野球・テニス・ゴルフ・スキー)、音楽、旅
嗜好:酒類(すべての酒/ピュアな酒を好む)
S級グルメ(A級料理より素材そのものを味わう野趣)
性格:サメかマグロか?(動いていないと生きていけない)貧乏性
度胸はないが好奇心は旺盛。こだわりはないが感動すること
愛読書:素直な心になるために(松下幸之助)
歴史漫画 タイガーウッズ レッスン本
愛車:ボルボワゴン
愛用の道具:アンティーク時計・家具・鉛筆

年表

3月11日誕生

米野小学校・黄金中学校・稲沢東高校・龍谷大学を経て成人就業1957年3月

広告代理店入社

交通広告の営業から始め、TV、ラジオ、新聞、雑誌、印刷等の媒体営業からイベント販促提案、展示装飾、サイン看板施工、CI・VI等の企画開発を手がけ、会社の事業開発に携り、1988年1月まで勤務1979年2月

株式会社日本アドシステム設立創業

ローカルメディアを中心とした広告と販促の企画提案を基本に「医食同源・住・裕」暮らしに役立つレスポンシブ広告を展開口コミ・まちづくりの広告を推進表彰:世界デザイン博覧会、ゆうあいピック愛知・名古屋大会等ナショナルフーズ事業展開・オプト事業展開1989年6月

有限会社KIDSクリエイティブ設立

(有限会社加藤塗装工業所改組) デジタル時代のクリエイティブとホールディング&シンクタンク1993年4月

株式会社名古屋リビングエージェンシー設立

名古屋リビング新聞社との連携によりフリーペーパー事業を推進 R&E LINKINGグループ企業展開 東京渋谷ブランチ開設1998年3月

結婚

素敵な女性に一目惚れ、プロポーズに成功して結婚2010年6月

待望の長女誕生!

娘にデレデレの日々を過ごすことになる2012年2月

一般社団法人まちの活力創生協会設立

学びを通じて人づくりまちづくり事業を推進2016年2月

しあわせ終活®事業スタート

しあわせ終活®事業スタート

設立35周年を迎える。

新たなDX事業確立に向けonesboard事業を展開 デジタルサイネージ&SIGNとシステムの提供を開始。2024年6月

タイムライン

学びのころ

三歳保育と言われ近くの幼稚園に通った。4人兄弟男ばかりの末っ子である。歳の差は二年空き年子二年空きで小学一年生の時長男は6年生。近い兄弟だから感化されやすく喧嘩もしやすく、しかし兄弟の順列は何ともしがたい。中学進学時に岐路があった。兄たちは越境で、私は地元に。野球部の友達もあったが兄離れである。ノビノビ学生生活はやはり、勉強に後れをとる。毎日の積み重ねがそのまま学歴となる。

しあわせのこと

これまでのことは終わったことだが、やはり繋がっていることである。家族や友達、先輩後輩、学校仕事を通じて人生の楽しさを味わっている。失敗の嘆き傷心は多かれど、ちょっとした感動から生きる力をもらっていることも多い。しあわせなことは生きていること。 いいことも悪いことも日々繰り返される中、何とか明日への希望を抱くというか情熱を燃やす方法を求めていく根気を得ていることだろうか。

仕事を覚えたころ

大学の専攻は社会学。旅行研究会。関心の仕事に就きたいと考えながら、広告の仕事を選んだ。憧れは企画プロデユース・コピーライター。何となくかっこいい。そこは蓋をして営業の始まり。家の手伝いやアルバイトを通じて働く面白さはどこにあるのか?感じつつ会社員ではなく仕事のできる人を目指した。しかし営業成績は簡単に上がらない。一人の力では難しい。いかに周りの協力理解を取り付けられるかの困難を知る。

家族のこと

親を想い兄弟や家族子供や孫を思うと、繋がりを大切にすることが肝心であろうと。やはり自分の人生は繋がっているのだという自覚のもと、自律した心をつくり、時には襟を正し向かい、時にはほほを緩めながら在ることができるようにと思う。親に対して反発するのも自立のこと。子供を叱るのも自立のこと。家族それぞれが自立した人格と役割を感じながら、その時代その時々を楽しく生きてほしいと願っている。

Album

Memories

先輩の開業パーティのとき、書家を招いてのイベントが行われていた。お好きな言葉を書きましょう!では「名前を書いてください」と頂戴した

ボーンボーンと時を告げながら長く時を刻んでいたまだ背の届かないころには見上げるばかりカッコンカッコン…何とも気高い家の主であった

壊れたお爺さんの金時計を手にしたとき奇跡が起きたあれから35年。今も時を刻むとっておきの宝モノ

創業時に商売繁盛の縁起物として七宝焼きの赤富士を頂戴した親爺の御世話になっている人からの頂き物であるPC越しに目に入るように置いてある

職人の技は時代が移り変わっても朽ちない戦後、一家団欒白黒TVの時代からの家具である今ではFAX電話台として活躍中

駄馬は駄馬なりに進化を遂げよう何事も勇気を持って挑戦し、道を拓いていこう

Message

大いに生きるとは?

やはり誰にでも生まれてきた意味があるはず。それを、感じないと「何様の人生」となっていくのではないかと。常に自己中心に置く軸を、他人軸と交差させながら交わっていく軸を見つける。大前提のスタンスを構えられれば、何とかはぐれずに道を歩んでいけると思うのである。うまくいかず穴に落ちて這い上がれない自分に手をさしのべてくれる仲間。「愛される人間になりなさい」と言われ、「徳を積みなさい」と言われ目指してきたのは「恰好の人」。誠実に生きようとすれば、自然の心得が備わってこようかと。行いと心が合わさって滲み出る自分があればいいなと。これからも、大いに生きていきたいと思うばかりである。まだこれからの人生を、「明るく楽しく元気よく。悦びながら生きること」をテーマに全うしたいと思っている。ここまで、私を支えてくれた方々に感謝と哀悼の心をもって、これからもどうぞ宜しくと言いたい。

しあわせ写真館